top
Kami-Robo©2003-2014 Tomohiro Yasui / butterfly・stroke inc. All rights Reserved.
046
Kami-Robo
いくつかの要因が繋がっていく

「ひとり遊び」を「発表する」という行為は、
もともと矛盾を抱えた行為なのだから、
どこかに無理が生じてしまうのは仕方のない事だ。

でも、ここでカミロボ遊びが自分の中で変化してしまっても
それはそれで良い事なんじゃないだろうか、と思うようになりました。

発表する事で、ひとり遊びをうまく卒業して、自然体で
自分の内面を表現できるように成長していけるんじゃないだろうか、と。

繰り返しになりますが、その大きなポイントが
カミロボプロレス界に於ける「聖なる一回性」の崩壊、
そしてその瞬間が実際のプロレス界の変化と
奇妙にシンクロしていた、という事になります。

top
047
Kami-Robo
プロレスとカミロボプロレス

カミロボプロレスが誕生した80年代前半は
空前のプロレスブームの時でした。

小学生だった僕は、当時流行っていたプロレスとガンダムを
シンプルに組み合わせて、カミロボプロレス遊びを生み出しました。

そして90年代初頭、団体が乱立し
プロレス界の勢いがさらに増した時代に
カミロボプロレスの世界は成熟していきました。

二十歳前後になっていた僕はプロレス雑誌を読みあさり、
それぞれの団体の大人の事情や
マニアックな情報を楽しむようになっていました。

それに伴い、カミロボプロレスの空想世界も
舞台裏まで含めた複雑な世界観をベースにして楽しむようになりました。

そこまでのカミロボプロレスは
実際のプロレスの影響をモロに受けている、という認識が
自分の中にありました。

そしてそのあと、00年代のプロレスは正直それほど魅力的な展開もなく、
カミロボも影響は受けていないと思っていたのですが、
振り返って分析してみると、カミロボプロレスは
00年代もその時代のプロレス界の影響を受けていたようですね。

top
048
Kami-Robo
魔王VSブルーキラー

もしかしたら、カミロボプロレス界も
事前に内容が決まっているショーなんじゃないだろうか、と
考えるようになってから、僕の中で何かが大きく変わり始めました。

当時の思い出で一番印象深いのは
2006年に表参道ヒルズで行なわれた
「魔王VSブルーキラー」のイベントです。

これは、僕が小学生の頃に作った2体のカミロボ、
魔王とブルーキラーの25年後の対決を描いたライブイベントで、
「実際のプロレス」と「演劇」と「カミロボプロレス」を融合させて
一つの物語を紡ぐ、という画期的なものでした。

top
049
Kami-Robo
同じ試合を繰り返す

このイベントでは2日間で計4ステージ、
同じ内容の物語を上演しました。

この時、プロデューサーからは
その時の気分で毎回違った結末を迎えても良いよ、
という話を聞いていました。

内容はもとより、勝敗もその時の気分で変えてもいいよ、と。

これはカミロボが、あくまでも「一人遊び」である事を尊重して
配慮してくださった意見だったのですが、
結果的に僕は全く同じ内容の試合を4回繰り返す、という答えを
出したのでした。

それは、前段のストーリーが進行する部分
(実際のプロレス部分と演劇部分)の内容が同じであるならば、
そこから先のカミロボプロレスの「内容と結果」も同じはずだ、という
結論に至ったからでした。

top
050
Kami-Robo
殺陣を記憶する

あと、お客さんが入っている以上、
4回ステージがあったら4回とも同じ面白さじゃないとダメだ、という
責任感が沸き上がった部分もあります。

なので、僕は試合開始のゴングから試合が終わるまでの約10分間、
全く同じ内容の試合を4回繰り返したのでした。

実は前日の夜、僕はホテルの部屋でストップウォッチを持ちながら、
目を閉じて、実際の試合と同じ間合いで
脳内で魔王とブルーキラーを何度も戦わせました。

そして「この攻防以外にはあり得ない」というところまで
試合を組み上げて、完全に記憶し、当日のステージに臨んだのでした。

睨み合う間合い、殴る回数、繰り出す技、テンポなどが
全く同じ試合を4回繰り返す。

それはもはや「ひとり遊びのカミロボプロレス」とは完全に別物でした。

後日、映像の編集を担当して下さった映像クリエイターの方が
映像チェックをした時に焦ったそうです。

4回分、全て録画したはずが
1ステージ分しか録画できていなかったんじゃないか、と。

手元にあるのは、何かの手違いで上書き保存されてしまった
4本のダビング映像なんじゃないか、と。

top
051
Kami-Robo
メインを務める

イベントでは、お世話になったプロレスラーの新崎人生選手に
「良い試合だったよ」と褒めていただいた事も
非常に強い印象として残っています。

実はあのとき僕は、大きなプレッシャーで潰されそうになっていました。

僕のカミロボプロレスは、
「演劇のプロ」と「プロレスのプロ」(変な言い方だけど)が
ストーリーを盛り上げ、場の空気を作って下さったあとの
「トリ」に出てきます。

このプレッシャーはすごかったです。マジで…

そんな状況の中で、必死に表現した「指先のプロレス」の内容を
プロレスラーの新崎さんに褒めていただいた。

あぁ、新崎さんって、カミロボの試合を
普通にプロレスを見る視点で見てくれていたのだな、ってところが
すごく可笑しかったり、光栄だったり…

これは本当に、強い印象として残っています。

top
052
Kami-Robo
カミロボは変化していった

発表し始めた頃は、自分の内面を覗き見られている事が
どうにも恥ずかしくて仕方なかったのですが、
いくつかの経験の後に
僕は多少なりとも「自分の表現」をしている、と思えるようになって
自信がついたのかもしれません。

当初は「試合のまねごと写真」という認識で
自分の心をチクチクと傷つけながら撮っていたカミロボ写真も
気がついた時には「リングサイド写真」として
自分の表現の柱として認識するようになりました。

top
053
Kami-Robo
カミロボはカミロボ

だいたいのカミロボレスラーは
そんな僕の変化に順応してくれた(と思う)のですが、
そこで取り残されたのが
格闘王マドロネックサンでした。

マドロネックサンは、変化する事を恐れる
「もう一人の自分」なのだと思います。

小学生の頃に作ったカミロボの
マドロネックキングやマドロネックファイターは
変化に順応してくれた。

という事は、「子供の頃の自分」は
その後のカミロボ界の状況を楽しんでくれているのでしょう。

でも、18歳の時に作ったカミロボのマドロネックサンは変化を拒絶した。

それは、十代の自分が今の自分に
「そんなふうに浮かれていて良いのか、お前」と
冷たい目をして言っているのだろうな、と思うのです。

でも、最近なんとなく感じはじめていたのです。

カミロボはカミロボなんだから、全部一緒なんじゃないかと。
もともと決まった形なんてなかったのだから、
王道も邪道もなく、カミロボはカミロボなんじゃないかと。

マドロネックサンが心を開いてくれると良いな、と思うのだけど、
その為にはまず、「今の僕」の方からマドロネックサンに
心を開くのがスジだろうな。

top
054
Kami-Robo
キャラクターを解放する

そんなマドロネックサンが
遂に戦う気力を失って引退すると言い出した。

実は、ここ最近の僕は「マドロネックサンを解放してやらなければ」と
思う気持ちが大きくなっていました。

これは、カミロボ遊びの端々で感じてきた事なんだけど、
キャラクターと長く付き合っていると、
その時々の彼らの心情がすごく分かるようになるんですね。

特に、彼らが「変わりたい」と望んでいる場合には、
その欲求が強く感じられるんです。

キャラクターがもう一皮むけたい、成長したい、と
思っている気持ちがこちらに伝わってくる、と言うか。

数年前に「超マドロネック伝」という物語を作った時もそうでした。

マドロネックキングが「解放されたい」「突破したい」と言っている。

じゃあ彼はどういう「解放」を望んでいるのか。
彼が動きたいと思っているであろう方向に導いてあげた、と言うか
彼の後を追って冒険に付き合った記録が
「超マドロネック伝」という作品でした。

top