三沢光晴(みさわ みつはる)
プロレスラー。「プロレスリング・ノア」代表取締役。1962年(昭和37年)生まれ。北海道夕張市出身。中学生の頃にテレビで「全日本プロレス中継」を観てプロレスラーに憧れ、高校卒業と同時に全日本プロレスに入門。二代目タイガーマスクとしての活躍はもとより、素顔に戻ってからも川田利明、小橋健太、田上明らとともに「四天王時代」を築くなど、日本の王道プロレスを語る上で欠かせない人物。

※三沢光晴氏は、当記事製作中の2009年6月13日、試合中に受けた技がもとで故人となりました。製作スタッフ一同、心よりご冥福をお祈りいたします。

三沢光晴選手との対談を公開させていただくにあたっての安居智博のコメント


当日言い渡されたデビュー戦

安居 僕は、小学校のころからプロレスとガンダムが好きというのがありまして……。

三沢 そういう世代、ガンダム世代なわけですね(笑)。

安居 はい。で、こーいう世界──カミロボプロレスの団体を自分なりに作ったりして遊んでたんです。でも、実際にプロレス会場やテレビで“見えるところ”はいいんですけど、控え室とか、そーいう“見えないところ”は「きっとこーいう事になってるんじゃないかな……」って想像しながら、ひとり遊びの中にイメージとして投影してやって来たんですね。
今日はせっかくなので、そーいう見えない所の真実みたいな、実際のプロレスラーの方ならではのお話みたいなものをお聞きできれば、と思って来たんですけれども……。

三沢 おー。

安居 プロレスって「永久に終わらない大河ドラマ」ってよく言われますが、例えば三沢さんのように、選手から社長になる方もいらしたりとかするわけですよね。まずは、三沢さんがはじめてリングデビューした時の事とか、尊敬する先輩とはじめて試合した時の思い出とか、聞かせていただけませんか?

三沢 最初ね……。デビュー戦は、当日に会場で言われたんですよね〜。

安居 え、いきなりですか?

三沢 ええ。心の準備は全くできてなかったですね。付き人にもなってなかったし。当時は馬場さんにしか付き人いなかったんで。シューズとかタイツ──特にシューズは練習でも使うんで、「とりあえず作っとけ!」って言われるんですよね。だから、突然言われても試合には出れるんですけどね(笑)。まー携帯もない時代だし、家族とかにも知らせられない訳ですよ。だって、突然決まっちゃったんだから。教えるとしても終わった後ですよね。「今日、デビューしたから」って……(笑)。

安居 デビュー後しばらくは、同期の方と試合を?

三沢 いや、同期とはやんないですね、あんまり……。下手なもん同士でやってもうまくなんないですからね。先輩とやって、説教されながら、ね(笑)。だから、むしろお客さんの反応なんか気にしないでやるわけじゃないですか。アマチュアもそうだけど、お客さんなんか関係なく、「勝てばいい」的なね。でもプロになると、やっぱりお客さんは気にしながらやんなきゃいけなくなる。「試合中、もっと声出せ!」ってよく言われましたね、先輩に。痛いなら痛いことを「うあぁ!」とか表現しろってね。最初から感情表現豊かなヤツもいますけど、俺はどっちかつーと、淡々とやるタイプだったんで。

安居 特に「あの人とやるのは緊張したな」とかっていうのはありますか?

三沢 最初の1年くらいは一生懸命だから、そーいうのはなかったですね。むしろプロレスってものがまだわかってなかったっていうか……。教えられた事をやらなきゃいけないみたいな。まー教えられた事って、アームホイップとか、首投げとか、ドロップキックとか……少ないんですけど。やっぱり試合になると、その少ないレパートリーですら出なくなる、と。腰投げとかショルダースルーとかありますけど、攻める時がないですからね、若い時はやられてそのまま終わっちゃう、みたいな時もありますし……。

安居 すぐ上の先輩とやってらっしゃるような試合もあったし、例えば第一試合で、スゴい若手が、ベテランの方とやってらっしゃる試合とか……あーいうのも僕はスゴい面白いと思ってたんですけど。

三沢 そーですね。やっぱり勉強にはなりますよね。試合の流れとかね、見習うところもありますしね。でも、だんだん自分の中でその流れを肌で感じるようになると、相手が動きについて来れないっていうか。でも、その辺はうまくごまかしたりとかもありますし、そういう事も覚えたりしてね。例えば、相手によって技もね、見栄えが違ってくるんで、「この人にこの技やっても見栄えがしないな」とかね。だから、もちろんそんな技はかけないし、かけたとしても相手が受けられないからね。受けが下手な人にやっても、映えないし、かえって怪我したりする。相手はもちろん、自分も怪我したりするんですよ。そういう事が、プロレスにはありますからね。


純プロレス

安居
 実は、最近のカミロボファイトがNOAHの試合に似てるっていう人がいるんですよ。四天王プロレスからの流れに似てるって……。僕にとって、NOAHのプロレスって、いわゆる「純プロレス」っていうものを、一番根っこに持っているんじゃないかと思っているんです。最近では、「ちゃんとしたプロレス」ってのがだんだんなくなってきていて、そういう中で、僕自身がそういうものを求めてイメージして、カミロボをやってるんじゃないかな、って。

三沢 普通にできないことをやるから面白いわけじゃないですか、プロレスって。ロープに飛んで来て、飛んだり、はねたりね。普通の格闘技には、「タテの動き」はないんでね。タテの動きができる格闘技ってことでやっぱり面白いっていう。限界がないっていうかね。今の若い選手の試合みてると、「絶対俺にはできねー!」って技、いっぱいありますからね。20年前の俺ならいざ知らず、今じゃ無理!っていう(笑)。そう思いながら見てますよ。そういう技も、今ではスタンダードになっている技も、まずはじめてやる人がいて今が成り立ってるわけです。何事もはじめてやる事が大変であって……人がやらない事をやるっていうのがね。思いつき、発想っていうか。頭つかって、身体つかわなきゃいけないっていう。その辺がプロレスの面白さっていう事かな。いろんなキャラクターも自分で作れますしね。昔はそうはいかなかったんですけどね、うるさかったから……。格好にしろ、ニーパッドとかしてると「かっこつけやがって」みたいな時代でしたから。「でも、やんないと膝、痛めますよね?」っていう(笑)。やっぱり、先輩もつけてねーのに、みたいな空気がありましたからね。「そりゃ、アナタのスタイルなら怪我しないでしょうけど、こっちは違うんで」みたいに思ってましたけど(笑)。

安居 「純プロレス」って言葉については、どうですか?

三沢 う〜ん、どうかな。ウチのプロレス観て、そう言ってくれるのはうれしいですけど、プロレスって何でもありだからプロレスっていう風に思ってますからね。だからコレがプロレスってものはないですね。それは見る方が決めればいいと思いますよ。これが好きってのがあれば、そういうプロレスをやっている団体を観ればいいだけですから……。やっぱりプロレスの場合は、世界共通で言葉がいらないでしょ。俺としては、プロレスがない国の人はちょっとかわいそうっていうか……是非観せてあげたいですよね。


プロレスをやる、という事

安居 これは想像なんですけど、おそらく若い時ってのは、メインイベンターになりたいとか、チャンピオンになりたいとかっていうモチベーションでやってらしたんじゃないかと思うんですけど、三沢さんの場合は、さらに社長としてやってらっしゃるわけですよね。おそらく、若い頃とは違う感じで、プロレスというものに接しておられると思うんですが……。職業としてのプロレスラー、団体社長って、どんな感じなんですかね?

三沢 鋭いとこ突いてきますね〜(笑)。基本最初は純粋に「プロレスやりたい!」っていう気持でやってましたね。誰でもプロレスごっこやったことあるでしょ。俺は体操部だったんで、やわらかいマットがあったんですよ。後輩にブレーンバスターとか、かけたりしてね。審判台の上から飛んだりして「お前絶対うけろよ!」みたいな事やってましたからね(笑)。「プロレスラーって楽しいだろうな」って思ってましたね、純粋に。ましてや、派手な動きのある技って、当時はまだ少なかったですからね。僕らの頃は(アニメの)「タイガーマスク」とか、「キックの鬼」とかね。ほんと「真空飛び膝蹴り」って時代ですよ──実際はあんなに飛ばないですけどね(笑)。「あー、あれって漫画だったんだ……」って後からわかるわけなんですけど(笑)。まー、とにかく純粋に「プロレスをやってみたいな」っていう気持ち。お金の事も一切考えなかったですね。「いくらぐらいもらえるんだろ」ってのも、ありませんでしたね。「男と生まれたからには、何か残したいな」って事だけですね。だからデビューした時には、ホントうれしかったです。「俺って、もしかしてプロレスラー?」みたいな(笑)。「プロなのかな?」みたいなね。会場でもサインください、みたいになるわけでしょ。「え、俺なんかのサインが欲しいの?」みたいなね。すっごいうれしいわけですよ。それが今じゃね〜(笑)。「えー、サイン?」みたいになっちゃって、人間ってダメだなぁって思う訳なんですけど(笑)。でも、振り返ってみると、自分の人気が出てうれしいってのはもちろんありますけど、そのためにこの世界に入ったわけじゃないんですよ。ただプロレスやりたいって事で始めてるんで。あとからついて来たもんっていうかね。人気が出て、ファンの方から声援もらうなんて考えなかったですから。「プロレスだけやれればいいや」って思ってましたからね。最近では、入ってくるなり「給料いくらぐらいもらえますか?」って若い選手もいますからね。大体そういうのは、すぐやめちゃって残らないですけど。そもそもリングに上がるまでがキツいですから。見える部分は華やかですけど、かっこわるい時もありますし。地味ですからね、いつ終わるかわかんない腕立てとかね。

安居 巡業では、移動して、試合して、泊まってって感じなんでしょうか。

三沢 昔は、飛行機とか新幹線が多かったですね、今は道がよくなったんでバスが多いけど。宿泊は旅館が多かった。プライバシーってものがあんまりないんですよ。若手は大広間で全員、みたいなね。今じゃホテルが多くて、さすがに個室になってきてますけど。若いヤツにも、プライベートな時間は必要だと思いますしね。

安居 そういったご自分の経験をふまえて、今では試合だけじゃなく、興行に関わるすべてについて組み立てながらやってらっしゃるわけですね。


プロレスラーとヒーロー

安居 三沢さんって、どんなキャラクターが好きなんですか?

三沢 やっぱり、仮面ライダー、ウルトラマン。世代的には、V3とセブンかなぁ……。梶原一騎さんの漫画は、リアルタイムで読んでましたからね。特撮だと「忍者赤影」とかね。

安居 その辺の影響ってありますか?

三沢 ありますね。「プロレスラー」と「ヒーロー」って、共通するところあるでしょ!

安居 ……感動しました。

三沢 いや、男の子なら誰でも憧れてっていうとこ、あるでしょ? 大人になってからわかるんですけどね、そんなキレイなもんじゃないっていうのが(笑)。


カミロボ初体験

三沢 これって、細かい動き、反則技とか、やるの難しいでしょ?

安居 実は、受け身とかも一応考えてやってるんですよ。音が大きく出るように心がけてるんです。この人(カミロボのひとつを差して)は、ブリッジのうまい人で、ジャーマンが得意なんですよ。

三沢 あー、同じですね。プロレスラーでもブリッジできないヤツ、いますからね。大体相撲から来たヤツって出来ないヤツ多いですよね(笑)。ジャーマンやんなきゃ必要ないかな。でも、やらないんじゃなくて、できないからね(笑)。

安居 スゴく長く遊んでると、膝が悪くなってくるんですよ。首と。

三沢 あー、やっぱそこですか。おんなじですね、リアルに(笑)。

安居 そうなると、分解して修理したりして。

三沢 修理できないんだな、俺たちは。これがなかなか(笑)。修理できればって思う事、何回もありますけど。

安居 そういえば、三沢さんは、肘の軟骨が散らばってるって聞いた事ありますけど。

三沢 えー、日によって曲がる角度が違うんですよ。軟骨が一カ所に集まってたりすると、ここまでしか曲がんない、みたいなね。神経とか圧迫してしびれてくるんですよ。ずっとゲームやってると、しびれてきて「アイタタ……」みたいなね。

安居 え、ゲームやるんですか?

三沢 やりますよ。移動中とか寝る前とか。家ではトイレの中とかでやってますよ。DSが多いですかね。ポケモンとか……。風呂の中でもね。時間がないんで、有効に使ってやってます。旅館とかにいってゲーセンあるとうれしいですもん。ウチの選手でも好きなヤツいますよ。地方に行くとそういうのがわかって面白いんですよ。

安居 またイメージが膨らみました! ありがとうございますッ!!(笑)

(対談実施日 2007年11月14日)